2014-04-08 第186回国会 参議院 外交防衛委員会 第9号
つまり、米中伯仲時代が安全保障の世界でもやってくるということを我々は考えなければいけないということだと思います。
つまり、米中伯仲時代が安全保障の世界でもやってくるということを我々は考えなければいけないということだと思います。
前年のロッキード事件以来、政権が揺れまして、伯仲時代、五十一年の衆議院選挙で正に与野党伯仲という緊迫した時代でございました。五十二年の参議院選挙、当時は全国区でございました。自民党を名のって立候補する人がなく、皆さん及び腰でございました。 そのときに私は、戦後の安定は自民党が政権を持ってきたからだ、その安定によって戦後の復興がなされたと信じておりました。
そして、保革伯仲時代、また、社公民の共闘、保革逆転、五五年体制の崩壊と激動の政局の中を務めてまいりました。 国際政治においても、米中和解、日中国交正常化に始まり、東西冷戦の終結、ベルリンの壁の崩壊と大きな変化の連続でございました。 今、二十一世紀を目前にしております。戦争と革命の二十世紀から、平和と人権の世紀を目指さねばなりません。
この間、党にありまして、昭和五十一年十二月、まさに与野党伯仲時代の幕あけに国会対策委員長の要職につかれた先生は、厳しい国会運営が続く中で、常に率直にして誠心誠意与野党折衝に当たられ、話し合いによる国会運営の中枢の役割を果たされたのであります。
あの当時は与野党伯仲時代ですから、もう重要法案は三国会、こういうテーマは小委員会をつくってここでフリー討議をやって、そうしてがんがんやりながらみんなでコンセンサスを得て、小委員会の委員会決議などをやって事態に対応してきた。そのときにも、大学自治問題だから国会として言うのには限界があるというところで議論をしたけれども、我々野党も賛成に回って今日までまいりました。
この間、参議院におきましては大蔵委員長を務め、衆議院におきましては三矢研究事件、日韓基本条約、沖縄祖国復帰、ロッキード事件など、そのときの政治の焦点であった問題審議の衝に当たり、また、最近六年間は、国会対策委員長といたしまして伯仲時代の国会運営に身を挺し得たことは、議会政治家としての本分をいささかでも尽くし得たかとも存ぜられ、各位に対し深く感謝を申し上げる次第であります。
国民は、総選挙で自民党に大鉄槌を下し、再び与野党伯仲時代の選択をいたしました。したがって、国民の意思を謙虚に受けとめ、政府・自民党は従来の政治姿勢や政策を反省し、その転換を図るべきであります。 また、国会運営においても、今まで以上に野党との話し合いを重要視し、できる限りの合意をつくり上げていくのが国民の意思にこたえる道であります。
こういう伯仲時代に入りますと、これが否決される可能性もなきにしもあらずであります。ところが、昭和四十四年二月二十六日参議院の本会議で、国会において決算が不承認になった場合の政治責任について質問があり、当時佐藤総理大臣は、内閣総辞職あるいは衆議院の解散も考えられると答弁をいたしております。伯仲状況をにらむと新しい問題に見えてくるわけでありますが、中曽根総理大臣はやはり同じ御見解でございますか。
したがいまして、伯仲時代における連合政権の一つのあり方として、私は当然あり得べき手段だと思っております。しかしそれならば、いわゆる与野党のバランスを逆転させたというところに一番大きな問題があるのです。自民党よ謙虚になりなさい、野党の意見に謙虚に耳を傾けなさい、このいわゆる国民の冷厳な御審判を受けとめられるということが一番大切なことだと思うわけでございます。
しかし与野党伯仲時代に衆議院の航空機の特別委員会で野党が多数だったときがあります、一名ほど。当時松野頼三氏の証言問題をめぐって偽証問題が起こりました。だから偽証の告発をしなきゃならぬというのが証言法で決められております、義務づけられております、偽証があった場合に。それで委員会の開会を要求したのですけれども、自民党は委員会の開会を引き延ばしてとうとう閉会になった。
(拍手) 〔議長退席、副議長着席〕 しかし、あなたの率いる自民党は、常任委員長の独占や予算委員会における単独採決の強行など、与野党伯仲時代につくり上げたよき慣行を次々に打ち破り、議会制民主主義に逆行する態度をとられていることは、まことに遺憾にたえません。
○前島英三郎君 鈴木内閣が安定多数の与党に支えられていることは、伯仲時代よりもかえってその政治姿勢が国民から問われることにほかならないと思います。いま総理は退席しておられますから、ちょっとじゃ待ちますか。これは冒頭、総理にお伺いしたいことでございますから、ちょっと待たしてもらいます。 総理、御着席でございますから——。
鈴木内閣にとって初めての通常国会で、各党代表の本会議討論や予算委員会等を見ておりましても、与野党伯仲時代のよき慣行は残っている。たとえば新自由クラブの田川代表も、鈴木内閣の国債二兆円減額の政策の支持でありますとか、総理が初めての外国の訪問国としてASEAN諸国を訪ねた、こういうことに対しましても、是は是、非は非として率直に評価をしておるわけでございます。
また野党においても、伯仲時代のそういう考え方というものがやはり依然として今日も生きておる。私は、そういう傾向を定着させていきたい、これが議会制民主主義の発展のためにも必要である、このように考えておるわけでございます。
率直に申しますが、昨年の十月以前の保革伯仲時代においては、恐らくそんなことはどなたもおっしゃらないであろう。いま自民安定のときに、あなたがその政治情勢を踏まえて、かかる発言を堂々と、うまくかわしながら、そして憲法改正の方向へ進めようとしておる。
○前島英三郎君 そこで、大蔵大臣、来年の予算のことを言うと申しわけないんですが、いずれ、いままでのような伯仲時代じゃありませんので、ほぼ政府案どおり移行していくと思います。しかし、福祉は聖域ではないと言われておりますが、特に心身障害児者の対策というものは日本はおくれておりますので、この予算は満額回答をこの席でお約束いただきたい、そういう気持ちがするんですけれども、いかがでございますか、大蔵大臣。
あわせて、鈴木総理の和の政治とは、与党自民党内に向けての姿勢なのか、政治全体に対しての姿勢なのか、もし政治全体に対しての姿勢であれば、与野党伯仲時代に培われた野党との予算や重要案件に対しまする対話、協調路線を今後とも継続していく方針かどうか、それいかんによって、われわれの鈴木内閣に対しまする姿勢も考え直さざるを得ないと考えます。明瞭な答弁を伺いたいと思います。
こうした改憲論議は、軍事力増強、靖国神社の国家護持などとともに、伯仲時代では言えなかった自民党の本音の政治が多数議席の獲得を背景に次々にあらわになってきたものであります。 先日の所信表明で、総理が国会の場で憲法遵守を言明できなかったことは、この基本姿勢の大幅な後退であり、きわめて遺憾であります。
特に、昭和五十一年九月に事務総長に就任されてからの四年間は、いわゆる与野党伯仲時代でございまして、いろいろと御心労の多い激務であったとお察しいたします。その間、豊富な経験と高い学識、そして誠実なお人柄によりまして、議長、副議長を補佐され、国会の正常な運営とよき慣行の樹立のために尽力されたのであります。その御労苦に謝意をあらわすとともに、その御功績に対し心から敬意を表するものであります。
これは昨年も大変問題になったのでありますが、いま保革伯仲、いわゆる超伯仲時代でございます。国民の権利を無視して党利党略を前面に押して議員定数不均衡をそのままにしておくということは非常によくないと思うのです。
(拍手) 戦後の保利君の軌跡をたどってみると、その初期は、まず進歩党、民主党を経て保守本流に座を占めた吉田元首相に才能を見出され、資質をみがかれた吉田学校時代、そして佐藤政権の七年八カ月にわたる大番頭として、君が最も高揚された主役の時代、田中政権以降は、政界の後見人として保守本流を維持してきた陰の実力者の時代、そしてその最後が、全議員より推されて保革伯仲時代の国会の運営を主宰し、国会の権威を高められた
このような旧態依然たる力による政治は、伯仲時代における新しい議会秩序の創造を不可能にするだけでなく、大平内閣に対する国民の期待を急速に薄れさせるものであることをここに強く警告し、以上をもって討論を終わる次第であります。ありがとうございました。(拍手)